1月5日(金)に、三学期始業式が行われました。
校長先生の講話は、定番となった「これからがこれまでを決める、これからが大事ですぞ」から始まりました。
続いて今回は元号・暦・歴史へと話が進み、人間てすごいねという内容のお話でした。以下に概要をまとめます。
ローマのカエサルが、今から2000年以上前、紀元前45年から始めたユリウス暦は、地球が太陽の周りを1周するのにかかる時間、つまり1年を365日と6時間と計算した。現在使われているのは、1582年のグレゴリウス暦、16C後半、急速に進んだ天文学により、1年は365日と5時間48分46秒であると判明したことから、ユリウス暦の1年を11分14秒短くして、新しく定めたものである。
コンピュータのない時代に、1627年もの歳月をかけて、11分14秒の誤差を訂正した人間、わずかな誤差の2000年前のローマの人間、やはり人間はすごい。
世界の様々な暦を調べれば、それぞれに歴史があり、当時の人たちの思いがある。歴史と人々の思いと言えば、日本では、
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という格言がある。19Cのドイツ、プロイセンの鉄血宰相ビスマルクの言葉だといわれている。ビスマルクのドイツ語を日本語に直訳すると、「愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む。」ということになる。ビスマルクの言葉を英訳したものの1つは、「Fools say they learn from experience; I prefer to from the experience of others.」である。
ドイツ語も英訳も「他人の経験」だが、日本では「他人の経験」を「歴史」と置き換えて意訳している。考えてみれば、確かに、歴史は他人の経験の集積ともいえる。自分だけの経験など質も量も微々たるものであるが、沢山の他人の経験、歴史から学ぶことは、質も量も無限大となる。歴史に名を残した人たちも、時空を超えて他者から学び、それを基に自分で考え、ときには試し、また様々な視点から考えることにより、独自の世界をつくりあげたのかもしれない。
学校で学ぶ教科書は、そうした他人の経験をきれいに整理したものと思えば輝きも増す。また我々が本を読むのも、意識せずとも、他人の経験から学んでいるのかも知れない。
歴史は人間であるともいえる。人間ってすごいと思う。
そして、これもまた定番となりましたが挨拶の励行と、石善生たる者、
「どんなにしたくなくとも、しなければいけないことは、しなければならない」
反対に「どんなにしたくとも、してはいけないことは、してはならない」「何はなくとも元気を出していこう」の言葉で結びとなりました。
今学期も石善生は挨拶を大事に、自重自治の精神で参ります。
